沿岸部に平野が広がり、高い建物がない宮城県山元町。昨年10月の日曜の朝、高台にある工場の敷地に車が次々と集まった。大津波警報が出た想定で行われた総合防災訓練で、住民たちが約3キロ離れた海岸近くの家から避難してきたのだ。
町は2011年3月の東日本大震災後、内陸に向かう避難道路を9本整備。この日の訓練には約1800人が参加し、沿岸部の五つの行政区には車で、それ以外の行政区には歩いて避難するよう呼びかけた。
県が昨年5月に公表した最大級の津波の浸水想定で浸水域が広がったため、さらに高い場所にある工場を、車による避難場所に指定。渋滞を少しでも減らそうと、家族や近所の人同士で「相乗り」することを勧めた。
家族4人で避難した小林邦彰…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル